修理人の自己紹介


18歳で八王子工業高校を卒業と同時に、2014年Gibson USAに買収されたTEAC株式会社に就職しました。それも、希望していたミキサーやMTR、音響機器の部門ではなく、ストレージデバイス製品=パソコン周辺機器事業部です。

三ヶ月の試用期間終了の翌日から、パスポートをたまたま持っていたという理由で、ドイツのアウグスブルグにあるシーメンスに飛ばされました。納めていた自社製品のFDD修理を数千台数ヶ月でこなし、その足(羽)でUSAアトランタに飛び、ノースキャロライナのNCRでも同じように修理をこなしました。期間は延べ3年間程度です。

小さい時から負けず嫌いだったのと、会社員とか正社員というつもりで入社したわけではなく「従業員」という心構えで仕事に勤しもうと決めておりましたので、採用していただいたからには、何としても「与えられた仕事を期待以上に、誰よりも正確に、誰よりも早く」こなしすぎて、出っ張りすぎた生意気な杭はよく打たれましたが、打たれ強かったので非常に煙たがられていたと思います。

その後、日本で作った試作品を、国内の生産ライン軌道に乗せ、タイランド、インドネシア、マレーシアなどの海外工場に移管する(自分で持って行って自分で教える)業務に4年間携わり、8年目でリストラの一番手として、真っ先に退職しました。

退職後は、今はなき日産の村山工場から、スカイラインGTRやマーチなどを7台積の牽引車に載せ、横須賀の追浜に係留されている船に乗せたり、土日は引っ越し屋をしてお金を貯めました。

父が営んでいた本屋で約10年、地域の皆様に顔見知りになって頂き、本屋の中を間借りして2003年からパソコンの対面修理業を営み始め、2010年にパソコン対面修理データ復旧業務の専門店を開き現在に至っております。

それと並行して、2011年4月にオープンした、八王子市戸吹スポーツ公園スケートパークのデザイン、設計などを担当させて頂き、公共建築部門の2011年のグッドデザイン賞を、八王子市長と連名で受賞しました。

現在もNPO法人日本スケートパーク協会の理事長として、各地の地方公共団体や地域の皆様と共に、住環境の整備や町おこし村おこし、過疎化の抑止と教育環境の改善を目標に、公共スポーツ施設のさらなる利用促進活動をおこなっております。

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