私は宗教家ではありません。
あらゆる宗教的概念に興味はありますが、それ自身は人が考え得る思想概念への興味と同じです。
今日まで生きてくる中で出会えた著書のなかで「セーレン・キェルケゴール」の「死に至る病」で触れることが出来た、人の精神の立ち位置については、学ぶことが多かったと振り返ることが多々あります。
人には善もあり悪もあると考えます。
両方あるのが人間のかたちだと考えています。
理性や倫理などという、格好のいい言葉だけで生きていけるほど、人間は単純ではないと理解しているつもりです。
絶望と云う概念を、生理的には理解出来ていない修理人ですが
「対面」修理人という職業を選んでいるのには、確かな理由があります。
そこには、他者が理解しえない「人」を出来る限り大切にしようとする努力があります。
もちろん夫婦も親子も他人ですから、分かり合えなくて当たり前です。
ほんの少しでも共通点や同意を得られた時の喜びを、初心を忘れないように、日々自分の甘えと闘う勇気を振り絞りながら・・・
修理人はフルオープンで、他者と接することが苦ではない性格の「人」です。
兄弟はいませんが、両親や妻、子供たちと毎日をともに過ごすことが、自分にとって大切な使命であると言うことを憚りません。
人が他者とかかわり生きてゆくうえで一番難しいことは、正しいことを正しく教え、自身も正しくおこなうことが、必ずしも正しい結果を導かないという点です。
絶望はまだまだ理解できませんが、希望がもたらす悲しみなら
少しはわかるかな?

40歳になって3ヶ月、63歳でなくなった父は、それまで私にありとあらゆる自由を与えました。40年前、私という一個の命のために、医者という職業も、社会的地位も、保障も全て捨てた人です。とても、23歳の判断とはいいがたいと考えていましたが、40年経ち彼の死を前にしたとき、わかったことがありました。
この40年間、私はひたすら他者からの目、恋愛相手からの目、親からの目、社会からの目、友達からの目などに常に囚われていました。しかしこれは、人として人々と生きている上では、多くの人が抱えている問題であり、当たり前のことでもあります。
「この人生に悔いは一切無い」といって、その18時間後に息を引き取った父は、一滴の涙も流しませんでした。
どう生きたと思われているか?私は愛されているか?私は愛していると思われているか?私は社会に認められているか?他者のために誠意を尽くしていると思われているか?それらの感情の根源をずいぶん早くに突き止め、「自分がどうするか」という問いとだけ向き合った父に、私は愛されていたと考えていますし、絶対的な信頼を置いています。
それは、死後も変わりません。
彼は、人々に人が持ちうる最大最強の武器を常に明示していました。それらを受け取ることができた人は、きっと、生きる強さを補強したと思います。
私がこう書いているということは、父の死が本当の悲しみではないということです。
私は幸いなことに、本当の悲しみには直面していません。
涙を流した日々は、全て明日への糧であり、「自分がどうするか」を歩んでゆくための添え木のようでもあります。その一本一本の大切さを忘れず、これからも本当の自由を生きたいと考えています。